当区は、大阪市の南西部に位置し、一方を大阪湾に面し区の三方は木津川、尻無川、岩崎運河にかこまれている。その為水運の便がよく、各種工業が集まり臨海工業地帯として発展してきた。
大正区の土地は、江戸時代以前から続いてきた三軒家、難波島と江戸時代以後木津川、尻無川の河口に開発された新田で大半をなしている。大阪湾がまだ、生駒山脈から千里山丘陵のあたりまで入り込んで「難波江」となっていたこの入り海に、北から淀川、南は大和川が流れ込み、しだいに土砂が推積し上町台地の西方にいくつかの砂州ができた。これらが集まって「難波八十島」と呼ばれ、その中に姫島、九条島、四貫島、難波島があった。このうち、一番最初に開墾された(慶長15年)のが三軒家村となる姫島である。江戸時代は、盛んに新田が開発され、当初は、庄屋を中心に村民が共同で開発されたが、江戸中期になると町人勢力が台頭し「町人請負新田」が多くなる。
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