5.「渡船」の紹介
かつては、紅葉の名所であった尻無川の甚兵衛渡し。その昔、「甚兵衛さん」と呼ばれる茶店がそばにあったことから名付けられたといわれています。大正高校や泉尾高校、泉尾工業高校があり、大阪市で利用者が一番多い渡船です。川幅(尻無川)は94m、「すずかぜ(4.9トン)」と「泉尾丸(4.9トン)」の2隻が運航しています。 (電話:06-6551-6085)
天保3年(1832)、江戸幕府は船の運航の安全のため、大きな石の堤を築いた。千本松渡しの名の由来は、この堤防の上に植えられた松並木から来ています。昭和48年、千本松大橋(通称めがね橋)完成しましたが、徒歩や自転車で橋を渡るのは困難なため(一度、渡って見るとわかります)、架橋後も共存しています。川幅(木津川)は230m、「しおかぜ」「さざなみ(4.9トン)」の2隻が運航しています。 (電話:06-6551-6156)
木津川渡しは新木津川大橋の真下を運航し、唯一、大阪市港湾局が管理する渡しです(他は建設局)。昭和30年から49年まで、カーフェリーとしてトラックや車・バイクなどを運び、両区をつなぐ重要な架け橋として運航していました。カーフェリー廃止後は、人と自転車だけの渡船となり、大正区の工場に通う人や住之江区の木材関係で働く人たちを運んでいます。川幅(木津川)は238m、「松丸」が運航しています。 (電話:06-6551-3143)
大正区には関係ありませんが、番外として取り上げます。 天保山渡しは大阪市の港湾振興策の一環として、明治38年につくられた渡しです。天保山は天保2年から安治川を浚さらった土砂で出来た山で、「目標(めじるし)山」ともいうそうです。川幅(安治川)は400m、「天保山丸(19.54トン)」、 「海桜(18トン)」が運航しています。ちなみに、写真は天保山からUSJへ渡るフェリー内から撮影しました。 (実はまだ、乗船してません・・・) (電話:06-6571-5919)